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富良野簡易裁判所 昭和34年(ろ)17号 判決 1959年7月14日

被告人 明石好正

昭七・五・二七生 木材業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、自動車の運転者であるが、昭和三四年四月二八日午後一時五〇分頃、北海道空知郡南富良野村字下金山市街細川商店方前路上において、佐藤敏雄(当二三年)が自動車の運転免許をうけないで、同村字下金山方面に向い箱型ジープ(札一は二七一二号)を運転するに際し、その情を知りながら助手席にあつて同人の無謀操縦行為を容易にさせて幇助したものである。」というのであるが、一件記録によれば、右公訴事実中、自動車運転免許をうけている被告人が助手席に同乗し、運転免許をうけていない佐藤敏雄が運転者席にあつて右日時場所において右箱型ジープを運転し、以て無謀操縦をしたことが認められる。

しかして、無免許による自動車無謀操縦の幇助犯が成立するためには、被告人において自動車を運転する者が自動車の運転免許をうけていないのに自動車を運転することを認識し、かつこれを認容した上幇助を与えることを必要とするものであつて過失によつては幇助犯は成立しないと解するを相当とするところ、被告人の当公判廷における供述、被告人および佐藤敏雄の検察官に対する各供述調書によれば、両名が自動車で出発に当り、佐藤がジープ運転台に座つていたので被告人が「自動車の運転ができるか」と聞いたのに対し佐藤は運転免許をうけていないのに拘らず、ただ「ええ」と答えただけであつて、同人に対し被告人は別に運転免許証を見せてもらつた訳でもなく又自動車運転免許をうけているかどうかの点まで立入つて質問せず被告人はそのまゝ助手席に同乗し、佐藤が運転した事実が認められる。およそ自動車運転台に座つている者に対し「運転できるか」との問に対し単に「ええ」と答えたに過ぎないときは、他に特別の事情のない通常の場合は、事実上運転ができるという意味に解するのを相当とするけれども、回答者が無免許者であるか免許をうけている者であるかについては、更に運転免許証を見せてもらうか、免許の有無をたずねなければ二者のうちいずれであるか確認することはできない訳であるから、単に「ええ」という返事があつたことによつて、その者は、常に無免許ではあるが事実上の運転ができる者に限定すべきものであるとすることはできない。これを本件についてみるに、この点に関する事実関係は前記認定のとおりであつて、被告人において佐藤の運転免許の有無を確認する何等の方法もとらなかつた過失があるにせよ右事実関係から直ちに佐藤敏雄が運転免許をうけていないという点までも被告人において認識していたと断定することはできず、反つて被告人は、佐藤は「ええ」と答えたので同人は運転免許証をもつていると思つた旨を供述しており、更に本件全証拠によつても、被告人において佐藤の無免許者であるということを聞いた事実も、その他佐藤が無免許者であることを窺知しえたような事実も認められないことを考えあわせるならば、被告人には、佐藤が自動車の運転免許をうけないで運転することについての認識があり、かつ佐藤の右無謀操縦行為を認容した上これに幇助を与えたという事実を認めることは困難である。従つて被告人には、佐藤敏雄の無免許による無謀操縦行為を幇助する意思はなく、結局被告人の道路交通取締法違反幇助罪は成立しないものであるから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 浅田進)

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